2004年03月29日

執筆に至った実体験エピソード

【連載コラム】 出版社に企画を持ち込んでみた(全4回)
 本の作り手の人に触れるきっかけとなった、出版社への企画持ち込み体験の記録。ビジネス書の著者を夢見て、自身の実体験をふまえて、ストレスフリーを目指す仕事術をテーマとした原稿を書き上げた。企画書にして出版社に持ち込むが、果たして夢の実現なるか? 持ち込み企画の内容を紹介しつつ、各出版社のレスポンス結果についてレポートする。

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(その1)執筆に至った実体験エピソード
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「完全自殺マニュアル」(鶴見済著/太田出版)という本をご存じでしょうか。

 一時話題となりましたが、100回以上増刷を重ねている超ロングセラー本です。内容はその名の通り、「どうやったら死ねるか」をテーマとしており、自殺の方法について詳細に書かれています。参考文献は半端な数ではありません。著者は多数の医学系の文献をもとに、研究しつくした上で書いたのでしょう。クスリ、首吊り、飛び降り、手首・頸動脈切り、飛び込み、ガス中毒、感電、入水、焼身、凍死・・・。これらの方法について、苦痛、手間、見苦しさ、迷惑、インパクト、致死度を5段階のドクロマーク入りで比較評価している強烈な内容です。

 噂には聞いたことがあっても、実際にこの本を手にしたことのある人はあまりいないでしょう。巷の書店ではお目にかかれないこの本を、私はインターネットで購入しました。精神的に追い詰められていた私は、どうしたら家族に迷惑をかけずに楽になれるかを真剣に考えていたのです。この本を読んだ時のことを思い出すと、とにかく気持ちが悪かったという記憶しか残っていません。内容はあまりにも具体的でした。「コトバの自殺装置」と紹介されていたのも納得がいきます。私は読んでいるうちに恐ろしくなり、

 どんな死に方がベストなのか・・・

 そんなことを考える気持ちはみるみる失せていきました。どれ位の苦痛に耐えなければならないのか、万一死に切れなかった場合にどういう事態が起こるのか、仮に死ねたとして残された家族の身に何が起こるのか。実際に起きた事例をとりあげながら、生々しく書かれているのです。自分が死ぬことで全てが終わる、そんな綺麗な結末は滅多になく、お金の面、精神的な面でも家族を破滅に追い込んでしまう自殺。読んでいる途中で、妻、息子、両親、友人、会社の同僚・・・彼らの姿が次々と目に浮かび、涙が止まらなくなりました。そして分かったのです。

「死ぬ」ということは、「生きる」ことよりも難しいということが。

 この著者の本意は、あとがきで分かりました。自殺を助長している本かと思ったのですが、そうではありません。漠然と命の大切さが語られている世の中で、「いざとなったら死んじゃえばいい」という選択肢をあえて作ることにより、行き詰ってしまった人生に打開策を見出すチャンスを与えようとしていたのです。読み手の状況により解釈はさまざまなので、人の命に直結するテーマだけに危険な本ではあります。しかし事実として、私は最悪の事態を何とか踏みとどまることができ、現在に至るのです。 

 私が書いたこの本を手にしているあなたに確認したいことがあります。
 あなたは今病んでいますか?

 既に病んでしまっているあなたには、メンタルヘルスの専門書をお読みいただくか、病院に行くことをおすすめします。なぜならこの本で紹介しているテクニックは「病んでしまわないためにはどうしたらいいか?」という観点で書かれているからです。それが「病む前に効く」というキャッチフレーズの意味です。私のように具体的に「死」を考えてしまうほど追いつめられる前に、是非読んで欲しいのです。

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 私は今、それなりに名の知られた会社に勤めている現役のサラリーマンです。20代の頃は、ヒット商品の開発に携わったり、EC(イー・コマース)サイトの立ち上げに参画したりと、自分でも満足のいく経験を積んでいました。30歳になった頃、私は現在の会社に転職をしました。入社前は「自分は仕事がデキる。見せつけてやる!」と自信満々で意気込んでいました。ですから即戦力になれない現実に直面した時は、「この会社では通用しないのではないか」と正直焦りました。その後、さまざまなプレッシャーと貢献できない自責心が蓄積していき、精神的に追い詰められていきました。

 そしてとうとう、うつ病を患ってしまったのです。

 それから約1年間は、休職しては復帰する・・・の繰り返し。ほとんど働くことができませんでした。いつの間にか「自分は(会社にいる)価値のない人間」と思い込むようになり、すっかり自信をなくしてしまったのです。

 会社に行くのが辛くて、妻の前で思いっきり泣いてしまったことがあります。当時、息子は1歳で妻も専業主婦でしたから、私は心療内科に通院しながらも、なるべく心配をかけまいと無理して強がっていました。ある晩、どうにも気持ちを抑えきれなくなった私は、ついに心の叫びを妻に打ち明けてしまったのです。

 「もう働けない、どうしていいか分からない・・・」

 こう言って私は泣き崩れてしまいました。我慢の限界でした。まるでダムが決壊したかのように、涙がとめどなく溢れて、わんわん泣いてしまいました。でも妻は幼い赤ん坊を安心させるかのように、私を抱きしめてくれたのでした。

 妻に重荷を背負わせてしまったのはこの時だったのかも知れません。繰り返す休職による収入減、不規則な生活リズム、そして育児ストレス・・・これらは支えてくれていた妻の心をも少しずつ蝕んでいったのです。妻は私の病状を心配して、心療内科の医師にうつ病患者とどう接するべきか、定期的に相談してくれていました。「一緒に行って話を聞くと気を使うでしょ」とあえて、別の時間帯に妻ひとりで心療内科に行っていました。でもそれは、単なる夫婦愛ではありませんでした。実はこの時、妻自身も軽いうつ病を患いかけて薬を処方してもらっていたのです。私がこの驚愕の事実を知ったのはしばらく後のことでした。

 「とんでもない過ちを犯してしまった・・・」

 この事実を目の当たりにした私に、強い自責の念が襲いました。自分の行動を振り返ればそれも当然です。早起きのリズムを作る訓練というのを口実にして、開店前からパチンコ店に並んでいたこと、抗うつ薬を飲んでいるのに「ほどほどのアルコールは大丈夫」と正当化し、気分に任せてお酒を飲んでいたこと、体調不良を理由に好きなだけ寝ていたこと・・・挙げればきりがありません。病気を理由に働かず、自堕落な生活をしていた私をよそに、自分の身を削ってまで、私以上に病気に対して真剣に向き合ってくれた妻。

 突如として浮かんだ2つのシーン。妻の両親に初めて挨拶に行った時に「必ず幸せにします」と誓った時のこと、産婦人科で息子が生まれる瞬間に立ち会い「この子を一生守っていく」と胸に刻んだこと。これらがフラッシュバックのように脳裏に蘇ってきました。

 「自分はいったい何をやっているんだ!」

 この思いが強く込み上げてきた瞬間、目頭が熱くなったのでした。そして休職期間も残り1カ月を切り、こんな生活をしていてはいけないと思いつつも、劇的に生活リズムを変えられずにいたある日のこと。既に働く決心をしていた妻は、突然私にこう言いました。

 「もう実家に帰りなよ・・・」

 妻も相当参っていたのでしょう。いつ回復するか分からない病人と暗い生活をするよりは、息子と2人で頑張って生活する方が良いと思ったのか、それとも一緒に生活してもなかなか回復しないので、環境を変えるべきと思って別居を提案したのか・・・その真意は分かりません。ただ間違いなく言えることは、離婚の危機だったということだけです。私は三行半を突きつけられても、最後のチャンスを貰ったのだと前向きに考えることにしました。それから、ひとり実家に帰り、別居生活が始まったのです。情けないことに、私がこの病気に真剣に向き合うことができたのは、この時からかも知れません。医師に勧められた通り、適度な運動を行って基礎体力を養い、規則正しい生活リズムを心がける・・・これを忍耐強く続けたのです。

 2004年3月29日、この日は私の完全復活の記念日(出勤日)となりました。

 体調が良好になってきたこと、自分の心の波をある程度コントロールできるようになったこと、これらが闘病生活にピリオドを打つ決め手となりました。そして同時に、妻への感謝の気持ちを忘れないこと、今後何十年かかけて償わなければならないこと、これを自分の心に誓い刻み込みました。そしてようやく私は、完全復活を遂げることができたのでした。

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 いかがでしょうか。

 これがフィクションなしの私の過去です。私自身はこのような辛い経験を2度としたくありませんでしたし、他の人にはできればして欲しくないと強く願っていました。うつ病を患って会得した自分なりの仕事のやり方が、もしかしたら同じように困っている人の役に立つのではないか。私のように、不器用で弱い人間だからこそ、気負いなく、等身大の言葉でヒントを伝えられるのではないか・・・。こんな思いから、本にまとめる準備を始めましたのでした。

 「このままで終わってたまるか!」

 こんな奮起の気持ちもありました。闘病中に迷惑をかけてしまった方々や、応援してくださった方々に、何らかの形で「完全復活」を遂げたことを証明したかったこともあり、この原稿の執筆には、6年以上の歳月を費やしました。休職中にも仕事のコツのようなものは、文章化してブログなどで発信しておりました。これをベースに復帰後の経験を加味して、バージョンアップを何度も重ねました。書店に並んでいる本の著者(経営者やコンサルタント)とは一線を画した、うつ病経験者ならではの見地から、仕事の技術を組み立てなおしたのです。

さて・・・ と。
本にするにはどうしたらいいのだろう?

本書くための本を読んでみると 「まずは企画書を書け」 とのこと。

(先に原稿書き上げちゃったけど、まぁいいか)

 →→ (その2)持ち込み企画書抜粋(執筆にかける思い) につづく

【連載コラム】 出版社に企画を持ち込んでみた
 ┣ (その1) 執筆に至った実体験エピソード
 ┣ (その2) 持ち込み企画書抜粋(執筆にかける思い)
 ┣ (その3) 原稿抜粋(まえがき/トピックス)
 ┣ (その4) 企画持ち込み先(出版社)のレスポンス

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posted by 鳴海寿俊 at 00:00| Comment(1) | 【連載】 出版社に企画持ち込み | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
妻は私の病状を心配して、心療内科の医師にうつ病患者とどう接するべきか、定期的に相談してくれていました。

これが、あなたがよくなった要因です。

奥さんのおかげです7.
Posted by 吃音で修士論文を書いた元スクールカウンセラー at 2016年05月07日 15:32
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